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横浜の日本大通南端に建築家・渡辺節設計の事務所棟と倉庫からなる建築がありました。 横浜スタジアム・横浜公園から通りを挟んで1927年竣工の旧日本綿花横浜支店が建っている。戦後はそれぞれが大蔵省関東財務局と神奈川県労働基準監督局の事務所が使用していた。しかし現在は市民サポーターやアーティストの活動の場として創造界隈の拠点施設「ZAIM」に生まれ変わって活用されている。 開口部は正面入口を中心に左右シンメトリーになっている。足元廻りを基壇風にして大谷石を積上げ、その上に全面スクラッチタイルで張られた四層分を載せているように見える。日本大通りは歩道と植栽の整備が完了されている。 外壁部分にはタイル剥離落下防止用のネットが掛けられていた。植栽を囲むようにゆったりとした歩道が街並みを形成し変化しても、この定礎式が行われた1927年のローマ数字の刻印は何も変わることはない。 この建物は鉄筋コンクリート造の地下1階・地上4階建で、外部は当時のままの状態であるが、内部に関しては現代美術の国際展「横浜トレエンナーレ2005」の会場となった時に大規模な改装が行われている。 鋳鉄製の重厚な玄関扉が有る正面玄関廻りは大谷石の石彫りの装飾が竣工当時の状態で劣化を見せながら残っている。窓廻り、窓台の水切り石、面格子、そしてネットで覆われたスクラッチタイルの現状が良く分かる。 胴縁風に水切り大谷石がスクラッチタイルを見切り、積上げられた大谷石を深い掘り込みで分離している。水ダレを防ぐために少し仕上げ面より出面で納められていた為か、80年の時を経ても風化は少なく見えた。 関西周辺で建つ建築の重厚さとは比較できないが、要所に様式建築を重んじながらも、上部のエンタブラチュア、スクラッチタイルと大谷石積み、全面均一な窓割り、正面玄関に石彫りの装飾を供えた、単純な全体構成で出来ている。 建築家・渡辺節は1884年東京・麹町に生まれる。1908年東京帝国大学建築学科を卒業し、韓国政府度支部建築所技師、鉄道院西部鉄道管理局を経て1916年に独立し大阪と東京に事務所を開設した。鉄道院時代には京都駅新築工事を担当している。多くの建築家がモダニズム建築に傾斜する時期の中でも、建築の時流に左右されずに社会を見つめ、商業的合理主義で建築の機能を分析し、コストを含めた実用的な価値を見出して作品を創り上げていた。所員であった村野藤吾にも少なからず影響を与えたことは明らかである。「大阪商船神戸支店(現三井商船ビルディング)」、「大阪ビルディング」、「綿業会館」、「乾邸」など名作がある。特に「綿業会館」の2階談話室の暖炉廻りの装飾は一見の価値ありの秀作である。壁のタイル・タペストリーは京都の泰山を使用し、自身が自ら一枚一枚張上げたと言う逸話があり、建築家の執念が籠められた建築である。「乾邸」は現在、解体の危機にあり、地元では保存運動が起こっているらしいが、何とか保存の方向で進展することを期待したい。 人気ブログランキングへ |
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外国為替証拠金取引 2007/03/13 10:06 |
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